私は首都圏に住む33歳女性です。家は裕福ではないけれど貧乏でもないという普通の家庭で過ごしていました。
誰もが知っている大企業に勤めていた父のおかげで、母方の祖父母、両親、私、妹の家族6人が生活に困ることはありませんでした。
ただ、家族は正直仲が悪く、毎日毎時間誰かと誰かが喧嘩していました。「子供だからと手加減しない」という勢いで、私も相当怖い思いをしていました。
毎日びくびくする習慣がついて、学校でも先生やクラスメイトが怖く、代わりに向き合っていたのは机。教科書を読むのもノートを書くのも好きな子供でした。
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ニートになったのは在学中の就職活動の失敗

先述したとおり、私は昔から遊ぶことより勉強の方が好きでしたし、習い事をさせてもらうと必ず結果が出る子供でした。
数学の成績が5段階評価で2だったような私が、ちょっと塾に通っただけでクラスでトップになってしまうような。
でも、そこに私の意志はありません。目の前に与えられたものをただこなしていただけなのです。学生の頃に「頑張った」と言えるものはありません。
ピアノをやれと言われたからピアノをやった。英語塾に通えと言われたから英語塾に通った。公文に通えと言われたから公文に通った。
私にとって家族は怖い存在で、反抗するという選択肢はなく、自動的に従っていました。人からは「頑張ったねえ」と言われますが、私の感覚では全然頑張っていないのです。
結果、学校の成績はまあまあ良かったのですが、子供の頃にやっていた習い事や勉学というのはやがて卒業します。
今度は自分の足で、やりたい仕事、向いている仕事を探さねばいけません。けれど、ずっと与えられていた私は、自分で何をしたいのかわかりませんでした。
大学在学中に就職活動をしていましたが、全く選考に通ることができませんでした。今思うと選考に通ることができなかった原因がよくわかります。
原因は、今まで頑張った感覚がないので自己アピールが全くできていなかったことと、自我がなかったからだと思います。思春期に反抗期がなかったのです。
親が「危険だから運転免許を取るな」と言うので取らなかった。親が「長女だから実家から出るな。近場で仕事を探せ」と言うので、県内の仕事をできるだけ探した。
こんな調子なので、大学を卒業し「卒業までに内定ゲット」「勉学」などのわかりやすいミッションが急に目の前から消え、ぽかーんとしていました。
親からは「とにかく仕事しろ」と言われたのですが、新卒枠から外れ、興味があることもわからない私が正社員で就職できるはずがありませんでした。
そんな私に、母が「正社員の仕事を探して東京で就職したら、朝早く家を出て夜遅く帰らなくてはいけない。それなら近くのスーパーのレジのアルバイトでもいい。女は別に仕事をしなくてもいいんだ」と言いました。
本能的に「それは違う!」と思いましたが、結局母の言う通り、私は自転車15分距離の地元でアルバイトを始めることになりました。大学を卒業し1年後、初めての就業でした。
脱ニートのために資格を取得したきっかけはアルバイト中の体験

大学卒業後ホテルのフロントのアルバイトを始めました。応募したきっかけは「自宅から近い」「英語に抵抗がない」「難しくなさそう」この3つでした。
確かにニコニコ笑って、丁寧にチェックイン手続きや館内の案内をしていればそれで良かったのです。
小さい頃から英語を習わせてもらっていた私は、感覚的に英語をとらえ、話すことができるのですが、しかしそのスキルを全く活かせませんでした。
活かさせてもらえませんでした。つたない英語を話す正社員が一生懸命、何度も「Pardon?」とか言いながら聞き返していますが、私には外国人のお客様が何を言っているかわかるのです。
そこで私が一歩前に出ようとすると「あなたはいい。下がっていて」と言われるのです。「私は英語がわかりますよ」と言っても、「いいから」と。
はじめてそこで「悔しい」という感情が湧きました。自分の能力が生かせないことではなく、外国人の方に諦めさせてしまったこと。
外国人のお客様と正社員がかみ合わない会話をして、やがて「OK」と言って、その方は去ってしまいました。
私にとって親と同世代の人、もっと言うなら自分より年上の人が言うことは「絶対」だったので、「いいから下がっていて」と言われて素直に引き下がってしまいましたが、この時ほどやるせなさ、ふがいなさを感じた瞬間はありませんでした。
どうしてお客様のことを先に考えず、正社員にびびって黙って見ていたのか。その頃には当然成人していたのですが、「大人の人に屈しない!びびらない!」という子供みたいな目標を掲げ、私は英語の他にもうひとつ外国語を学び、トリリンガルを目指すことにしました。
そして、英語のできるバイトを後ろに下がらせ、英語のできない正社員がぐいぐい前に出て、お客様にコミュニケーションを諦めさせてしまうようなこんなレベルの低いホテルなんか去って、もっといいところに行ってやる!と思いました。
脱ニートのためにも語学を学び資格を取得

外国語の資格を取り、トリリンガルになってやるという小さな目標を立てましたが、何の外国語にするかはそのとき既に決めていました。
大学生の頃に第二外国語として学んでいた、アジア圏の言語です。日本の観光地に行くと、大抵その言葉を聞きます。
そのホテルで夕方から働きながら、昼間は語学スクールに通い、1年みっちり勉強し、大学生の頃に取得できなかった語学検定の上級レベルに合格しました。
その時も、自分には「頑張っている」という自覚はなく、ただ「自分がやるべきことが目の前に現れたからやっている」という感覚でした。
一度集中すると周りが見えなくなるタイプで、毎日朝から晩までその言語漬け。語学スクールに通うだけではなく、自分で問題集も買い、ネットラジオを見つけてひたすら聴いていたりしました。
合格した暁にはホテルのバイトをあっさり辞め、今度はなんと私が通っていた語学スクールの社員になりました。
ここで目標を達成できたのだから、自分は広告塔になれると思いました。当時アルバイトという収入が少ない中、細かく教育ローンの計算をしていた経験を生かし、授業料で入校を悩むお客様に寄り添うことができることもアピールしました。
実際、資金がなければ勉強の意志があっても通学できません。「月5万にして○回払いにするか、5万1千円払って△回払いにするか。比較すると総支払額がこれだけ変わります」公文のおかげですっかり数学が大好きになっていた私は、そういった計算がまったく苦ではありませんでした。
脱ニートのための就職活動中は自分の夢を語るのもいいかも

私は先日、初めて面接でこのようなことを言いました。「この会社に骨を埋める気はない」と、遠回しに。ただ、自分の夢を叶えるために、この企業で働いてもいいなと思いました。
その企業での経験は確実に今後に生かせるので、勉強をしたいと思いました。企業でやろうとしていることを、将来私も、自分のやり方でやりたいと思っているので、マッチングはしているのです。
大学生の頃は「御社で一生頑張って、御社のために目標を達成し、貢献します」みたいな言い方をしていましたが、今は「自分のやりたいことと御社のやりたいことが同じだからちょっと勉強させて」という感覚。
自我のなかった私が、多くの人と会い、さまざまな経験を経て、ようやく軸ができ、太くなり、大人にびびってへこへこしていた自分から、企業の面接官と自分の将来の話をできるようになりました。
直接的な表現はしていませんが、あなたの会社とは別のところで頑張る!みたいな話をして大丈夫だろうかと不安ではありました。
けれど、この先やりたいことがようやく見えてきた今、見ているものは会社ではなく、自分の目標なので、ただ単に「大人になったら何になりたいの?」と聞かれたときに「パン屋さん!」と素直に答える子供のような感覚で自分の夢を語りました。
面接で嘘偽りなく自分の気持ちを話したのはこれが初めてかもしれません。すると意外に相手は私に興味を持ち、私の経歴を見て、面接の場で社長直々に「是非うちで頑張ってもらいたい」とおっしゃっていただきました。
ここに一生いるなんて一言も言っていないのにです。すべての企業で通用するとは限りません。けれど、「御社のために!」というアピールより、自分の夢を熱く語ることは、その夢を叶える場所がどこであれ、意外とプラスに働くのかもしれません。
ただ、その企業とは縁もゆかりもない夢を語るのは、少し危険かもしれませんが。