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24歳女性無職!ブラック企業勤務でうつ病になった体験談

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私は24歳女性です。今は派遣やアルバイトで色々な職種を経験中です。元々打たれ弱く、引っ込み思案で周りの人間となじめない、典型的な”ニート予備軍”と自覚していたのですが、現実になりました。

 

勤めた職種がいけなかったのか、ブラック企業に連続であたり二社目で心が折れました。 心が折れたすぐは「誰だってこれくらい辛いんだ、我慢しなきゃ」と歯を食い縛っていました。

 

しかし、今ではもう文字通り根性無しです…。 今の状況がいいか悪いかと聞かれたなら、私は間違いなく「悪い」と答えます。

 

食費や電気代、水道代などを補助するために生活費として5万円を実家に入れています。その他には保険や年金で4万円弱払っています。

 

また、ネットや携帯などの通信費1万5千円、車のローンと保険で3万円、仕事場までの交通費が半分しか出ないので出ない分の2万円と自分の食事に使う2万円くらい毎月かかります。

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うつ病になりニートになったのはブラック企業での勤務

先月、鬱になったのをきっかけに一度仕事をパタリと辞め、そこから一カ月ほどニート生活を経験しました。

 

仕事を辞めるまで、周りに相談していたのですが、誰もが口をそろえて「三日もすれば仕事をしたくなる」と言い、まともに取り合ってくれませんでした。

 

そうじゃないのに、こんなにも苦しいのに、理解されないならもう誰にも言わないでおこうという決意をし、退職の意を伝えた日から何も言わずに抱え込んでいました。

 

しかし途中で燃え尽き症候群へと陥り、退職日まで身体を引きずってでも、泣いてでも職場へと足を運ぼうとした私の精神はボロボロでした。

 

そして最終的な決断が出来たのは、自分の体調の変化があったからです。身体が動かない。起きて仕事に行かなきゃいけないのに、起き上がれないと思った時には時すでに遅し。

 

実家暮らしだったので、出勤時間になっても起きてこない私を心配して母が部屋に来ました。その時のことはよく覚えています。

 

「起き上がれない、だめかもしれない」と、私は言いました。顔色や声のトーンで、母は察したのか職場へすぐ連絡するように促してくれました。

 

結局退職日ぴったりまで仕事をすることなく、その会社を辞めました。退職の後受診した心療内科で「鬱」と診断されました。

 

当時は自分が鬱であることを受け入れられず、処方された薬をまともに飲まずただひたすら昼夜逆転の日々を過ごしました。

 

やっと最近症状を自覚し、服薬もきちんと行うようになり徐々に社会復帰しようとしています。

ニートが楽しかったのは最初の1週間だけ

最初の一週間はひたすら寝て過ごしました。もう朝を怖がらなくていいんだと思うと、夜更かしも捗ってしまって、一週間が終わるころには清々しいほどの昼夜逆転っぷりでした。

 

何の心配もなく、ただただ純粋に何もない日々を楽しんだのは最初の一週間だけでした。次の週からは、「このままこの状態が続いたらどうしよう」と少し不安になっていきました。

 

二週間目で「次の仕事どうしよう」とうっすら頭の片隅で考えるようになりました。ただ以前と同じ職種だけはやめよう、それ以外なら自分は何ができるのか、と考えていました。

 

ただ、「次の職場も、前みたいなところだったらどうしよう」と不安が募り、二週間目で次の仕事が決まることはありませんでした。

 

三週間目、いよいよ仕事を本格的に探さないと…と焦り出しました。当時の私はまだ鬱という自覚がなく、「働かなきゃ」という思考だけで慌て、焦っていました。

 

今思うともっと早くに治療していればスムーズに次の仕事も見つけられたのかなと…。そして残りの数日。それまでに探してブックマークに入れていた会社を見比べて、ようやく面接の日程を決めました。

 

仕事を探すのに一か月もかかってしまい、駆け足で面接や出勤日を決めることになってしまいましたが、次の職場はなんやかんやで鬱治療中の私でも1年半続けられた職場でした。

 

しかし、不定期に襲う重い鬱が勤務日とたびたび重なってしまい、欠勤が増えて結局最後は退職することになりました。

脱ニートのためには焦らずゆっくりと社会復帰することが大切

お医者さんのいう事はちゃんと聞いたほうがいいです。自覚がないうつ病患者は世間にたくさんいるらしいです。

 

私みたいに処方された薬を飲まずに、ひたすら寝て忘れようとしたりするのは、社会復帰の近道とは言えません。

 

あと、退職の旨は早め早めに伝えること。話をする場を設けること。話を聞く上司が何人で来ようと、「絶対に辞めてやる」という意志を曲げないこと。

 

「ここでやっていけないならよそでも無理」というのはただの脅し。怖がらないで。世界に仕事は死ぬほどある。その会社だけで社会がなりたっているわけじゃない。

 

休みを貰ったら早めに次の仕事を探す。最初はふんわりしたイメージだけでもいいから、次は何しよう?って心の負担にならない程度に考えておくと、私みたいに最後の最後で焦らずに済むと思います。

 

あと、自分の子供が鬱になったとき、「甘えてる」は絶対に禁句。絶対にやめて欲しい。本人が一番つらい。働かなきゃって思ってるのは本人が一番思ってることだから見守って欲しいです。

 

「がんばれ」も嬉しくない。頑張ってる。鬱になっても今この瞬間生きてる、それだけでうつ病患者の人はしんどい思いをしてるということ、分かって欲しいです。

 

自分は仕事もろくに出来ないダメな奴だ、こんな自分に価値はない、死にたい、でも死にたくない、生きていたくない、そんな感情がもやもや頭と胸の中でずっと渦巻いています。

 

私はそのもやもやを「欲しいものを買う!」という一心で振り払って、今地道に社会復帰しています。だから今仕事をしていない人も諦めないで欲しいです。

 

まずは自分が何が好きか、なんだったら、どういう条件だったら、仕事ができるか、イメージするだけでいいと思います。

脱ニートをして今後は人と関わることのない仕事をしたい

今後は在宅ワークやテレアポなどの、「人と会わない仕事」をしていきたいです。働いていて私にとって一番しんどかったのは人間関係でした。

 

ベテランと新人、異業種同士の派閥に挟まれるなど、業務以外でのストレスが大きかったことにのちのち気付きました。

 

勤務を交代して欲しいと何度も言われ連休が消えたり、新人にはわからないような会議用の資料作成をしろと上司から言わたりしました。

 

やらなくていい仕事をベテランの人がやっているからと言って新人も同じように残業してやらなきゃいけなかったり、誰が誰のことをよく思っていなくて、誰に話をしたら秘密を守ってくれるのか、というような細かいところで毎日ストレスを感じていました。

 

上司に相談しても他のスタッフに話がバラまかれて終わり。解決どころか「最近の若い子はこれだから」と小言を貰うほど。

 

なのでこれからは、極力人に会わない仕事をしたいと思っています。わざわざ起きて、支度をして、何故業務以外のところで嫌な思いをしなければいけないのか。その嫌な気持ちは給料に入らないのに。

 

声に自身があるので、テレアポやコールセンターなどの仕事をしたいなと思っています。人に「これ、いいよ」と勧めるのも得意なので、向いているのかな?と今は思っています。

 

電話口では人に会っていますが、対面でなければ精神的にも少し楽かなと思い、今も求人を探しています。前の職種にはもう戻らないと思います。

 

ブラックに連続で当たったという運が悪かったのもありますが、自分自身がもうどこの会社でもやっていけそうにないと思っているからです。次は全く違う職種を頑張りたいと思っています。

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