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37歳男性!ニート歴10年実家暮らしの現状とは?

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私は37歳の男性です。何度か会社勤めやアルバイトをしていたことはありますが、社会復帰をしようとするたびに病気で働けなくなることが続き、現在も含め、足掛け10年近くニート生活をしています。

 

ニートになっている人の大半が社会復帰をする気のない、働くことに消極的な考えだと思われる方も多いと思いますが、私自身は早急に社会復帰をし、自立した生活をしたいと考えています。

 

ある人から、「お前は病気を言い訳にしている」と乱暴に言われたことがあり、そんなつもりは勿論無いものの、心の底では自分の中にそういう考えが根付いているのだろうかと、悩むことも多々あります。

 

私の日々の生活費は恥ずかしい話ですが、完全に両親の脛をかじり続けている状態です。

目次

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ニートになったきっかけはブラック企業への就職

一番最初のきっかけは新卒で入社した就職先が、一般に言われるブラック企業だったことでしょうか。一般のお宅に飛び込みを行う営業職でした。

 

どんな手段を取ってもいい、相手を騙しても良いから契約を取って来いという考え方に適応できず、研修期間を含めて三週間で退社しました。

 

その後の半年ほどが、初めてのニート生活です。そういった生活を続けた後、このままでは駄目だと一念発起し、実家と同県内ではあるものの、非常に離れた場所にある企業に就職し、一人暮らしを始めました。

 

ですが、ここも労働形態が非常にブラックでした。出社時間が朝早くから夕方ごろまで毎日のように変動し、取引先からの連絡を待って仕事を行う関係上、帰宅も深夜から翌朝という無茶なシフトが続いた結果、吐き気を伴う頭痛が毎日のように繰り返すという状態になってしまいました。

 

一度は休職という形になったものの健康状態は全く良くならず、会社側から一方的に「自主退職するように」と言われるがまま辞めることになってしまいました。

 

「頭痛だとか、お前みたいに意味不明な理由で休職してる奴なんかいないんだ」と言われたのを覚えています。今思えば、きちんと抵抗すれば良かったと思いますが……。

 

その後、様々な病院を巡った後、「うつ病」と診断され、投薬治療をしながら、社会復帰のためにキャリアスクールに通い始めました。

 

そこで学んだ内容を活かそうと就職活動を行ったものの、折り悪くリーマンショックが起こり、その結果として内定も全て取り消し。

 

それでも生きていくためにと就職活動をしたのですが、全て空振りでした。そこからの時期が、自分の中での最悪期だったかもしれません。

 

それでも、やはり親の脛を齧るだけの生活はしていられないと、学習塾講師のアルバイトをはじめ、子供達に勉強を教える楽しさを経験しました。

 

ですが、また酷い頭痛と気分の落ち込みがはじまり、一度はそのアルバイトもやめることに。数年後、体調が良くなってきた頃、その当時に講師として一緒に働いていた方の紹介で、別の校舎でまた教鞭をとることになりました。

 

が、またも頭痛とうつ症状のために退職し、現在に至ります。治療と仕事と体調悪化という状態を繰り返し、気付けば37歳という年齢になってしまいました。

 

結局のところ、社会と折り合いがつけられない自分に責任があるのではないかと、情けない気持ちがありますが、そういった自分自身への嫌悪こそが最大の原因なのかもしれません。

ニート中の辛い時でも少しずつ生活のリズムを作っていくことが大切

最初の就職の失敗時と、二度目の会社を自主退職したばかりの頃、キャリアスクールに通った後の就職失敗後は、現実逃避の連続でした。

 

ネットゲーム中毒になってしまったり、不規則で自堕落な生活を続けたり。部屋はカーテンを閉めたままで、家からは一歩も出ない。絵に描いたような引きこもりだったなと思います。

 

そうやって現実から逃げようとして、遊ぶことに夢中になろうとするのですが、ゲームのコントローラーを弄りながら、頭の片隅では自己嫌悪感が渦巻いていました。

 

結局、どれだけやっても楽しくない状態が続き、途中で頭痛に襲われて寝込む……という日々の繰り返しでした。

 

うつ病と診断され、薬を飲み始めてからもなかなか体調が良くならず、かえって身体がしんどくなってしまい、寝込むことが多かったと思います。

 

それまでは読書が大好きで、毎日のように小説を読んでいたのですが、病気になってからは本を開いて活字を目で追っても、頭に入って来なくなってしまいました。

 

その時は本当に、自分の拠り所が奪われてしまったようで愕然としました。本当にそれらの時期は、殆どの時間落ち込んでいて、死んでしまいたいと思うことが常でした。

 

塾講師のアルバイトを始めた頃から、体調も良くなり、精神的な余裕も随分生まれ、生活のリズムを正そうという努力を始めました。

 

生徒達に弱った姿を見せたくないというのが、モチベーションになったのかもしれません。今は朝早く起きて、きちんと朝食を取り、少しだけでも身体を動かすようにしています。

 

本を読むことができるようになったのもあり、図書館に頻繁に通って小説を読みふけることも多くなりました。

 

土日には友人に誘われ、少しずつ外出したり、一緒に遊ぶこともできるようになっています。そうやって気にかけてくれる友人がいるのは、ありがたいことだと思います。

 

そうやって少しずつでも、生活のリズムをつくっていくことがひとまず自分のやるべきことと考え、今はそれに集中しているところです。

今後は誰かの役に立ち人の役に立つことをしたい!

まずは働いて、家にお金を入れたいというのがあります。両親には随分苦労をかけてしまいましたし、遅くなってしまったとはいえ、少しでも親孝行できればと考えています。

 

また、いつかは自立し、実家から出てもう一度一人暮らしをはじめたいです。最低限度、自分の命を繋ぎ止めるという所からやり直したい気持ちは強くあります。

 

以前、ある人に随分酷いことを言われました。「あなたは人の役に立ちたいみたいですけど、それは無理でしょう。それよりも人の迷惑にならないように生きた方が良いんじゃないですか?」

 

その言葉は随分長いこと、私の心に刺さっており、今もおそらく、尾を引いていると思います。ですが、それでも、私のように病気で倒れてばかりでも、大した能力を持っていなかったとしても、誰かの役に立ちたい、人の助けになれたらという思いが今も強くあります。

 

それがどういった分野なのかは、情けないほど何も見当がつかないのですが、いつかそれを見つけて、世の中に貢献する……というほど大袈裟なことでなくとも、どなたかのお役に立てるようになりたいと考えています。

 

それはもしかしたら、また勉強を教えるなど、人をサポートすることなのかもしれませんし、もしかしたら全く違うものかもしれません。

 

とにかく、そういうものを見つけることができたらと、心の底から思っています。本当に漠然とした内容しか書き綴ることができないのが、なんとも恥ずかしい限りなのですが……。

悩みがあれば誰かに相談してください!

随分長いこと、世の中と折り合いをつけたり、その中に居場所を見出せないことが続き、自分を恥じたり、いっそ自分自身を殺してしまいたい、死んでしまいたいと願うことが多々ありました。

 

きっと私のような思いを持ったまま、ニートとして、社会の影になった場所で孤独に死んでいこうと考えていたり、一生何者にもならないままで全てが終われば良いと望んでいる、そういう方は沢山いらっしゃると思います。

 

その考えを否定することは、私にはできません。ずっとそういう思いを抱いてきた人間の一人ですから。ですが、辛い境遇にある時、いつも友人や家族の顔を思い浮かべます。その人達はきっと、私が死んだ時、随分悲しむだろうなと思うのです。

 

少なくとも、その人達がもし死んでしまった時、自分が抱えることになるだろう悲しみくらいには。そう考えて、ろくでもないとしか思えない自分の命を、何とか繋ぎ止めています。迂遠な方法かもしれませんが。

 

実際的な部分に関しては、ご自分が働けない状況になった時、会社から「自主退職しろ」と言われても絶対に嫌だと断り続けること。

 

それは労働者の権利として法律で保障されているものです。会社が明らかに理不尽なことを要求してきたら、どうかご自分の体や心が壊れてしまう前に、きちんとどこかに相談すること。

 

そんな会社が潰れても誰も困りませんが、あなたご自身が倒れてしまったら、悲しむ人がきっといます。病気になったら社会保障制度をフル活用して、可能な限り負担を減らすこと。誰かに罵倒されても気にしないでください。その人達はあなたご自身の苦しみを何ひとつ知らないのです。

 

最後に、格好悪くても、陰口を言われても、何とか生き延びている人間がいます。「病気を言い訳」にしていて、「人の役に立たたない」上、「人の迷惑にならないよう生きろ」とまで言われた命です。そんな命が生きているのならと、思っていただければ幸いです。

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